2008.11.24 Monday
人の空気を読むって。。。
以前このブログで、「接客は人の空気を読むことから。」というタイトルで書き込んだことがあります。
なぜか、ものすごいアクセスだったことを覚えています。
その後、「空気を読む」という言葉がよく使われていることを知りました。
まぁ、そんなにまだ「K.Y」などという言葉は流行っていませんでしたが。。。
僕は接客業を語るときには十数年前から使ってきた言葉ですから、なぜそんなに簡単に使われているのかさっぱりわかりませんでした。
最近、テレビなどで「空気を読む」ことについて、若者にインタビューしたりしているのをたまたま立て続けに見ました。
空気を読むのは「嫌われたくないから」とか「目立ってしまうから」とか、わけのわからないことを言っていて、だから言いたいことを言わないとか、気を使ってでしゃばらないとか。。。
。。。申し訳ないが、ただのアホです。
それは、「空気を読んでいる」のではなく「自分が無い」だけで、その言い訳にしか過ぎません。
その証拠に、「言わなければならない時」にも「言えない」のです。
完全に空気が読めていません。
「人の空気を読む」とは、そんなに簡単なことではありません。
真剣に人と関わり、真剣に人生を生きている人にしか得られない感性なのです。
僕が言う「空気を読む」とは、「相手の空気を引き出す」ということです。
そのためには自分をさらけ出すこと。
もちろん、自分に自信がなければできないことです。
自分のことなんてどうでもいいです。「人をどれだけ良く見ているか」が大切なのです。
以前のブログで書いたことは、決して接客業というプロの仕事だからということだけではなく、「人と人」とが関わり、信頼関係を築き、人間が成長していくためにとても必要なことなのだと思います。
以前のブログ、「接客は人の空気を読むことから。」を接客業としてではなく、「人との関わりは人の空気を読むことから。」ということで、書き直してみたいと思います。
人が人として成長していくには、まず人が大好きであることが大前提です。
人嫌いの人にはなかなか難しい話です。
「人の空気を読む」ことができるかできないかはその人の感性の問題が大きいのですが、その感性を養うにはまず人を良く見ることです。
「自分がどう見られるか」ばかりを気にしていると、消極的になったり自分らしさが出せなかったり、自信なさげに見えたりします。ま、根本的に自信の無さが引き起こす現象なのですが・・・
「どう?自分はこんな人だよ!」って思ってればいいんです。
「人をどれだけ良く見ているか」が大切です。
そのためにはやはり自信が必要です。
失敗や、苦い思いを繰り返して自信がついていきます。
人は人と接し、人と話すことでいろいろなことを感じます。
いやなことがあったり、いやなことを言われるときもあります。
もちろん嫌われるときだってあります。
でも、人は人から感じることで成長していきます。
動物からいろいろ感じて成長していくこともありますが、それは人が勝手に解釈していることですから、人と関わるよりはとても楽なことです。
「自分をさらけ出せる自信」
自信を持った無防備な人には、たくさんの人が寄ってきます。
いろんな種類の人を受け入れる器があるからです。
そして、いろんな人の空気を読む余裕があります。
自分が見られることも、人を見ることも楽しいからです。
「気遣う」ことと「気を使う」ことは違います。
「言わない」のと「言えない」のは大きな違いです。
どれだけの人々に嫌われないようにしているのか、どれだけの人々に好かれようとしているのかわかりませんが、100人が100人全員が自分のことを好きなわけがありません。
人に気を使う前に、自分の殻を破り、自分を知ってもらうことからだと思います。
「人の空気を読む」なんて生意気なことはそれからだと思います。
ネットにかじりついている人には一生無理な話ですよね。
僕も死ぬまでには、本当の意味で空気を読めるようになりたいですね。
皆さんは、本当に人の空気を読めていますか?
なぜか、ものすごいアクセスだったことを覚えています。
その後、「空気を読む」という言葉がよく使われていることを知りました。
まぁ、そんなにまだ「K.Y」などという言葉は流行っていませんでしたが。。。
僕は接客業を語るときには十数年前から使ってきた言葉ですから、なぜそんなに簡単に使われているのかさっぱりわかりませんでした。
最近、テレビなどで「空気を読む」ことについて、若者にインタビューしたりしているのをたまたま立て続けに見ました。
空気を読むのは「嫌われたくないから」とか「目立ってしまうから」とか、わけのわからないことを言っていて、だから言いたいことを言わないとか、気を使ってでしゃばらないとか。。。
。。。申し訳ないが、ただのアホです。
それは、「空気を読んでいる」のではなく「自分が無い」だけで、その言い訳にしか過ぎません。
その証拠に、「言わなければならない時」にも「言えない」のです。
完全に空気が読めていません。
「人の空気を読む」とは、そんなに簡単なことではありません。
真剣に人と関わり、真剣に人生を生きている人にしか得られない感性なのです。
僕が言う「空気を読む」とは、「相手の空気を引き出す」ということです。
そのためには自分をさらけ出すこと。
もちろん、自分に自信がなければできないことです。
自分のことなんてどうでもいいです。「人をどれだけ良く見ているか」が大切なのです。
以前のブログで書いたことは、決して接客業というプロの仕事だからということだけではなく、「人と人」とが関わり、信頼関係を築き、人間が成長していくためにとても必要なことなのだと思います。
以前のブログ、「接客は人の空気を読むことから。」を接客業としてではなく、「人との関わりは人の空気を読むことから。」ということで、書き直してみたいと思います。
人が人として成長していくには、まず人が大好きであることが大前提です。
人嫌いの人にはなかなか難しい話です。
「人の空気を読む」ことができるかできないかはその人の感性の問題が大きいのですが、その感性を養うにはまず人を良く見ることです。
「自分がどう見られるか」ばかりを気にしていると、消極的になったり自分らしさが出せなかったり、自信なさげに見えたりします。ま、根本的に自信の無さが引き起こす現象なのですが・・・
「どう?自分はこんな人だよ!」って思ってればいいんです。
「人をどれだけ良く見ているか」が大切です。
そのためにはやはり自信が必要です。
失敗や、苦い思いを繰り返して自信がついていきます。
人は人と接し、人と話すことでいろいろなことを感じます。
いやなことがあったり、いやなことを言われるときもあります。
もちろん嫌われるときだってあります。
でも、人は人から感じることで成長していきます。
動物からいろいろ感じて成長していくこともありますが、それは人が勝手に解釈していることですから、人と関わるよりはとても楽なことです。
「自分をさらけ出せる自信」
自信を持った無防備な人には、たくさんの人が寄ってきます。
いろんな種類の人を受け入れる器があるからです。
そして、いろんな人の空気を読む余裕があります。
自分が見られることも、人を見ることも楽しいからです。
「気遣う」ことと「気を使う」ことは違います。
「言わない」のと「言えない」のは大きな違いです。
どれだけの人々に嫌われないようにしているのか、どれだけの人々に好かれようとしているのかわかりませんが、100人が100人全員が自分のことを好きなわけがありません。
人に気を使う前に、自分の殻を破り、自分を知ってもらうことからだと思います。
「人の空気を読む」なんて生意気なことはそれからだと思います。
ネットにかじりついている人には一生無理な話ですよね。
僕も死ぬまでには、本当の意味で空気を読めるようになりたいですね。
皆さんは、本当に人の空気を読めていますか?